中森明菜新曲発売。気になる現在、近藤真彦との過去の苦悩。

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50歳での50枚目の新曲、楽しみではありますが体調面があいかわらず優れないようですのでお大事にしてほしいですね。

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中森明菜ってどんな人?

中森明菜さんと言えば日本中誰でも知っていると言って良いほど有名な歌姫ですね。

16歳の時にオーディション番組「スター誕生!」に合格し、ワーナー・パイオニアとレコード契約を結びます。

1982年に「スローモーション」でデビュー、セカンドシングルとなる「少女A」がヒットします。

「少女A」は今でも中森さんを代表する曲として有名ですよね。

デビューにあたり、「森アスナ」という芸名でのデビューも検討されていたそうですが、中森さん本人が本名でのデビューを希望し拒否したという話がありますね。

その後も「セカンド・ラブ」や「飾りじゃないのよ涙は」など次々とシングルをヒットさせます。

そして1985年の「ミ・アモーレ〔Meu amor é・・・〕」、1986年の「DESIRE -情熱-」とで2年連続となる日本レコード大賞を受賞します。

このあたりの曲も、やはり中森さんを代表する曲としてわりと若い世代の方でも知っていたりしますね。

マッチとの交際 自殺未遂

1986年には映画「愛・旅立ち」で近藤真彦さんと主演を務めます。

これがマッチとの交際のきっかけだったとも言われていますね。

1992年には連続テレビドラマの「素顔のままで」に出演。

1998年にも「冷たい月」などで女優としての活動を行っています。

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少し戻りまして1989年に交際していた近藤真彦さんの自宅マンションにて自殺未遂を起こし、1年間の芸能活動を休止します。

その後近藤さんも同席する謝罪会見が行われましたが、これもまた色々と言われているようですね。

中森さんは婚約の場と思っていたそうですが、マッチこと近藤さんにその気はなく、最後は2人が握手して終わるという近藤さんのイメージ回復が目的と見られてしまう会見となりました。

この件がきっかけとなりうつ病になってしまったとの話もありましたね。

活動休止期間 その後に関して

2010年に体調不良を理由に活動を休止し、テレビやラジオはもちろんのこと公の場に出てきていませんでした。

しかし2014年の紅白歌合戦にてスペシャルゲストとしてニューヨークから生中継にて出演し、4年ぶりに芸能活動を再開しました。

今年2015年にはシングル「Rojo -Tierra-」、カバーアルバム「歌姫4」をリリースし、そして9月には50枚目のシングルとなる「unfixable」がリリース予定とのことです。

9月発売の「unfixable」ですが、日本語に訳すと「再生不能」といった意味になるようで中森さんとしては初の全編英語詞となるようです。

海外の4人の作家により共同で製作された曲だそうで、中森明菜の苦悩の日々を歌った渾身の作品ということだそうですよ。

でもどちらかというと私はカップリング曲の方が興味がありますね。

カップリング曲のタイトルは「雨月」というそうで、中森さんの活動休止中の気持ちを綴った作品となっているそうです。

自分の人生を表したかのような2曲となりそうで、今から非常に楽しみですね。

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