斎藤隆の家族はいるの?メジャー時代楽天での年棒は?今季で引退

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本当に長い間お疲れ様でした、また野球界で姿を見れたらと思います。

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斎藤隆ってどんな選手?

斎藤隆さんは宮城県出身の野球選手ですね。

今季限りでの引退が発表されました。

プロ入り前

東北高校の出身で2年先輩に佐々木主浩さん、葛西稔さんがいました。

高校野球選手権大会には3年生時に1塁手として出場していますね。

高校を卒業後は東北福祉大学に進学し、高校時と同じく野手としてプレーします。

2年生の時に練習中遊びで投手の練習をしていた際、当時の監督が注目し投手に転向します。

この監督すごく見る目があったわけですね。

投手としてのスタートは遅かったわけですが、これが逆に長く現役を続けられた理由かもしれません。

これをきっかけに投手となった斎藤隆選手ですが、日米大学選抜に選ばれるほどに成長します。

1991年に横浜大洋ホエールズと中日ドラゴンズから1位指名されますが、抽選により横浜大洋ホエールズが指名権を獲得します。

推定契約金1億円、年棒900万円で入団したと言われていますね。

ちなみに同期には三浦大輔さんや永池恭男さんがいます。

プロ入り、横浜時代

ルーキーイヤーとなった1992年ですが、プロ初登板を果たすものの未勝利となります。

1993年には先発ローテーションに定着し、規定投球回数を満たします。

新人王有資格者中最多となる8勝を挙げるものの、伊藤智仁に敗れ新人賞を逃すことになります。

1996年にはプロ入り初となる2桁勝利を記録するも、敗戦も10と多く31本塁打を浴びるなど決して良い内容とは言えませんでした。

しかしながら、奪三振数206で最多奪三振のタイトルを獲得し、4月には月間MVPも獲得します。

ちなみに、31本塁打のうち7本は松井秀喜さんによるものでした。

1997年には右ひじの故障により手術を行い、初めて1軍での登板がないままシーズンを終えます。

1998年には13勝5敗1セーブという素晴らしい成績でリーグ優勝・日本一へ貢献し、優秀選手及びセ・リーグのカムバック賞を受賞します。

1999年のオフにはリリーフエースだった佐々木主浩さんがシアトル・マリナーズに移籍、抑え不在のためストッパーに転向。

斎藤隆さんですが当初はこの転向に難色を示していたものの、この経験がメジャーで活きたと語ったことがあるそうです。

2002年のオフにはFAとなりメジャーリーグへの移籍を模索するも横浜に残留。

2005年のオフに「たった一度でもいいからメジャーで投げたい」と家族を説得し、再度メジャーへの挑戦を目指しフリー契約となります。

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メジャー挑戦

2006年ロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約を結び、スプリングトレーニングに招待選手として参加するもAAA級ラスベガス行きを通告されます。

しかし、クローザーを務めていたエリック・ガニエさんが故障者リスト入りしたのをきっかけに入れ替わりでメジャー登録となります。

他人の故障を喜んではいけませんが、なんとも持っている感はありますね。

やはり一流ともなる選手は実力だけではなく、運も持っているものです。

2007年もクローザーとして起用され、日本人メジャー最高球速となる99mph(約159km/h)を記録します。

本人によれば日本での自己最速は153km/hであり、年齢的なこともあり半信半疑だったそうです。

この年はオールスターゲームにも出場しましたね。

2008年は右肘靭帯を痛め故障者リスト入り、復帰するも本来の調子を取り戻せずでした。

2009年にはレッドソックスと1年150万ドル+出来高600万ドルで契約を結びます。

6月には日米通算で100勝目を挙げ、日米通算100勝100セーブを達成します。

2011年にはミルウォーキー・ブルワーズと1年契約を結ぶも故障と復帰を繰り返します。

しかし復調し、シーズンオフには6球団から興味を示されFAランクは日本人選手唯一となるA判定を受けます。

2012年はアリゾナ・ダイヤモンドバックスと1年175万ドル(約1億3600万円)で契約を結びます。

しかしこの年も故障に苦しみ本来の実力を発揮できずに終わります。

2013年からは東北楽天ゴールデンイーグルスと1年契約となることを発表し、8年ぶりの日本球界への復帰となります。

楽天イーグルス時代

2013年は主にクローザーとして登板しリーグ優勝と日本一に貢献します。

2014年には44歳4カ月でセーブを記録し、元千葉ロッテマリーンズの小宮山悟さんが持っていた44歳0カ月の日本プロ野球最年長セーブ記録を更新します。

その後7月11日の千葉ロッテマリーンズ戦で最年長セーブ記録を更新、7月21日の埼玉西武ライオンズ戦で44歳4ヶ月で勝利投手となり、右投手最年長勝利記録を記録します。

そして、2015年限りでの引退を発表されました。

家族はいるの?

奥様と娘さんが2人いますね。

名前などは明らかにされていませんが、観客席にて娘さんたちの姿を見ることが出来る試合がありましたね。

2006年のインタビューで11歳と8歳の娘がいる、と語っていましたので現在は20歳と17歳ということになります。

2007年のオールスターも家族が来て観戦していたという情報もありますね。

年棒はどのくらい?

あくまでも推定ですが、こんなデータがありました。

1992年、840万円(横浜大洋ホエールズ )

1993年、850万円(横浜ベイスターズ )

1994年、2300万円(横浜ベイスターズ )

1995年、4400万円(横浜ベイスターズ )

1996年、4500万円(横浜ベイスターズ )

1997年、7300万円(横浜ベイスターズ )

1998年、5700万円(横浜ベイスターズ )

1999年、1億円(横浜ベイスターズ )

2000年、1億3500万円(横浜ベイスターズ )

2001年、1億1500万円(横浜ベイスターズ )

2002年、1億8000万円(横浜ベイスターズ )

2003年、2億5000万円(横浜ベイスターズ )

2004年、2億4000万円(横浜ベイスターズ )

2005年、2億4000万円(横浜ベイスターズ )

2006年、不明(ロサンゼルス・ドジャース)

2007年、100万ドル(約1億1500万円)出来高30万ドル(ロサンゼルス・ドジャース)

2008年、200万ドル(約2億1600万円)+出来高20万ドル(ロサンゼルス・ドジャース)

2009年、150万ドル+出来高600万ドル(ボストン・レッドソックス)

2010年、不明(アトランタ・ブレーブス)

2011年、不明(ミルウォーキー・ブルワーズ)

2012年、175万ドル(約1億3600万円)(アリゾナ・ダイヤモンドバックス)

2013年、3000万円(東北楽天ゴールデンイーグルス )

2014年、6000万円(東北楽天ゴールデンイーグルス )

2015年、6000万円(東北楽天ゴールデンイーグルス )

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